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   連載・ふるさと散歩道~遠賀川編 いずれも西日本新聞・筑豊版に掲載 2007年3月3日掲載 1回目 語源 古代の大きな干潟 筑豊地域の魅力を地元の識者に語ってもらう「ふるさと散歩道」のコーナー。

その第二 弾として「遠賀川編」を始めます。筆者は、国土交通省遠賀川河川事務所長の松木洋忠さ ん。歴史をひもときながらユニークな視点を交え、遠賀川の歩みやさまざまな魅力を紹介 します。

◇ ◇ 遠賀川はなぜ「オンガ」なのでしょうか。 今から六千年の昔、地球全体が暖かく、日本付近の海面は、現在よりも五-六メートル 高くなっていました。福岡県北部では、海が大きく陸に入り込み、いくつもの内湾を形成 していました。現在の博多、宗像、行橋なども当時は海の底です。 地球が寒冷化すると、海岸線は次第に後退していきます。また、川の運ぶ土砂によって、 海は埋められていきます。特に河口に砂丘が発達する河川では、内湾が広大な潟湖になり、 やがて干潟に変わっていきます。 このような過去を持つ土地は、日本海側の大河川に多く見られますが、そこにはある共 通点が見られます。干潟の「カタ」にちなんだ地名です。県外には象潟(キサカ(・)タ (・)=秋田県)、酒田(サカ(・)タ(・)=山形県)、高田(タカ(・)タ(・)=新 潟県)、三方(ミカ(・)タ(・)=福井県)などがあり、福岡県には博多や宗像、苅田の 地名があります。 遠賀川にも「カタ」の地名が、七一二年に編さんされた古事記の中にありました。神武 東征の途中で遠賀川河口に立ち寄るところで「竺紫(つくし)の岡田宮(オカダ( ・ ・) ノミヤ)に一年坐(いま)しき」としているのです。 遠賀川河口は、神話時代の国内最大規模の干潟であり、漁労採集や土器文化の中心地で した。その特別な土地を「大きな干潟=オオカタ」と呼び、やがて「オカダ」「オカ」「オ カガ」「オンガ」と変化していったのでしょう。 「遠賀」の語源は「大きな干潟」です。 × × ▼松木洋忠さん 国土交通省遠賀川河川事務所(直方市)に所長として赴任し、間もなく二年になります。 “土木屋”であるわたしは、遠賀川流域の地域づくりをお手伝いするために、流域を歩き回っ て、川や街を眺め、川にまつわる歴史を訪ねています。すると、さまざまな疑問がわき、 気づくこともいろいろとあります。今回、機会をいただいたので、流域のあちらこちらで、 わたしが考えたことをつづってみたいと思います。 一九六七年生まれ、北九州市出身。